老後という言葉は死語ですよと前田氏はいう

前田裕幸が考える老後という言葉

一昔前には60歳を超えると仕事から離れ、家で悠々自適の生活を送る人が多かったことから、老後という言葉や余生という言葉が使われていました。
当の本人や周囲の人たちも当たり前のように使っていましたので、それほど抵抗感のある言葉ではありませんでした。

ところが今は、企業の定年は60歳で変らないものの、定年延長・再雇用制度・雇用延長というような制度ができ、65歳までは誰しもが働けるようになっています。

これは厚生年金の制度が変り、65歳からでないと年金給付を受給できないということになってからのことで、60歳で会社をリタイアしても年金がもらえないとなると、生活費が困るということからの仕組みとしてのことです。

そして現に、60歳になった人たちは昔に比べて元気ですから、働けるうちは働こうということになったということもあります。
本当は60歳以降は、庭いじりや家庭菜園とか、自分の趣味に没頭したいという気持ちがあっても、それはかなわないとのが現実だと、少々前田裕幸は嘆いています。

前田裕幸の老後に行いたい事より引用

メットライフのウェルスデザインについて

背景事情について

背景事情としては、日本人の平均寿命が延びに延びて、男性でも80歳を超え、女性は90歳に近づこうとしているということであり、人生80年と言われていたものが、まもなく人生100年と言われそうだという状況になっています。

それに加えて、少子高齢化と言われているとおり、子供の出生が極端に減少しており、今や100万人を切っています。

これは女の子が生まれると数奇な運命をたどることになるので、子供を産むのを控えようとした昭和41年の丙午のときの136万人を下回る数字であり、これだけ見ても恐ろしいものということができます。

この二つのことから、社会保障や社会保険は様変わりせざるを得ないということになっています。
だから、できるだけ多くの人が働くということにしないと、とんでもないことになるというわけです。

もちろん働き手が少なくなっているという事情もあり、このままでは産業界にも多くの影響が出るということで、外国人労働者を雇ったらどうかとか、様々な論議がある通りであり、年配者にも可能な限り働く戦力になってもらいたいということもあります。

高齢者の人生ということを考える

これらのことを踏まえる必要がありますが、高齢者の人生ということを考えると、ただやみくもに働くことに精を出すということだけであっては、本当の人生の目的を失うことになりかねません。

65歳から天寿を全うするまでの期間を考えても、それに一日24時間を掛け合わせても、まだまだ長い人生があるからです。
老後とか余生という、どちらかというとネガティブな捉え方でなく。ポジティブな捉え方をしないと、せっかくの人生がつまらないものとなってしまいます。

大西洋無着陸横断に成功したリンドバーグ氏の奥さんでやはりパイロットでもある婦人は、50歳になったとき「ああ、いよいよ私の人生の午後が始まる」と嬉々として叫んだと伝えられています。

忙しかった午前が終わり、いよいよゆったりと楽しめる午後が始まる、とても楽しみだわというポジティブな捉え方です。

この人生の午後というとらえ方をして、人生を謳歌するというのが高齢者にとってはとても大事なことになります。

人生の本当の目的をしっかりと捉え、これまでやりたくても様々な制限でできなかったこと、忙しくて考えもしなかったし、思いつかなかったことを真剣に考えて目標にすることなどです。

いかにして人生を有意義なものにしていくか?

先人では伊能忠敬は50歳になってから、それまでの家業を息子に譲り、温めていた天文学に没頭したいと決意し、それから70歳までの20年間をかけて、あの有名な日本地図を完成させたと言われています。

海の向こうでは、ケンタッキーフライドチキンで有名なカーネルおじさんは65歳で起業したとも伝えられているのです。

こうした人たちと肩を並べるのは難しいとしても、なにがしか「もう一人の自分」ということを意識して、これからの人生を豊かで有意義にすることはできるはずです。

自分は恵まれていない・自分にはできないという具合に、被害者意識で無力になったり、自分で自分の壁を作ってしまう人がいますが、それらは自分が過去やらなかったことややったことの結果からくることが多いのです。

過去の蓄積が今の自分に反映しているということです。

アメリカの詩人サミュエル・ウルマンの名言

そうであれば、これからの人生は、自分がどうやって行くか、どういうことはやらないことにするかときちんと決めて、それなりに尽力すれば、その結果が未来に反映されるはずということになります。

「青春の詩」で有名なアメリカの詩人サミュエル・ウルマンは「多くの年月を生きただけで、老いる人はいない。人は理想を捨てることによって老いる。年月は肌に皺を作るが、情熱を失うことは魂に皺を作る」と言っています。

青春という言葉はやや抵抗があるかも知れませんが、豊かな充実した人生の午後は、その人が持つ理想や情熱で実現できるはずです。
それを信じて謙虚な姿勢で日々を過ごしていくことが、老後や余生という死語から脱出する決め手になります。